結論から言うと、『ばけばけ』の脚本が「ひどい」と言われた最大の理由は、単純な脚本力不足というより、あえて「何も起きない日常」や説明しすぎない会話を描く作風と、朝ドラ視聴者が期待するテンポや爽快感が噛み合わなかったことです。
「この展開、本当に必要だった?」
「どうして気持ちの変化をもう少し見せてくれないの?」
「朝ドラなのに、見終わっても気持ちが晴れない……」
そんな小さな引っかかりは、朝の15分では意外なくらい長く残ります。
2025年9月29日に始まり、2026年3月27日の第125回で最終回を迎えたNHK連続テレビ小説『ばけばけ』。ヒロイン・松野トキを髙石あかりさん、レフカダ・ヘブンをトミー・バストウさんが演じ、脚本はふじきみつ彦さんが担当しました。
放送中には「ばけばけ 脚本 ひどい」「つまらない」「面白くない」といった検索や感想が見られた一方、会話劇や静かな日常描写を高く評価する声もあり、かなり評価の割れる朝ドラになりました。
そして最終回まで見届けた今だからこそ分かることがあります。
『ばけばけ』で視聴者が欠点だと感じた「何も起きない」「成長が見えにくい」「説明が少ない」という部分は、少なくとも一部は脚本家が意図的に選んだ表現でもありました。
脚本家・ふじきみつ彦さん自身が放送終盤のインタビューで、「何も起きない物語」や、トキが典型的な意味で「何者かになる」「大きく成長する」物語ではないことを語っています。CINRA+2スポーツニッポン+2
つまり、視聴者の違和感は間違いではありません。
むしろ、作品が狙った方向そのものが、朝ドラに求められてきた気持ちよさと衝突した。ここに『ばけばけ』の脚本評価を読み解く大きな鍵があります。
この記事では、「ばけばけの脚本は本当にひどかったのか?」という疑問について、テンポ、キャラクター描写、笑い、説明不足、SNSでの不評、そして最終回後に見えてきた脚本家の意図まで整理します。
- ばけばけ脚本が「ひどい」と言われた理由は?まず結論を整理
- ばけばけが不評になった背景には放送前の期待値もあった
- ばけばけはつまらない?「何も起きない」と感じた原因
- ばけばけ脚本がひどいと感じる具体的な理由|説明不足・キャラ・ギャグ
- ばけばけはなぜ炎上したように見えた?SNSと「反省会」の影響
- 視聴率15.2%は「失敗作」の数字だったのか
- ばけばけ脚本は本当に失敗?脚本家の狙いから見ると印象が変わる
- 怪談ドラマとして見ると「違和感」の意味が変わる
- ばけばけ脚本の評価は最終回後に変わった?再評価できるポイント
- 私が考える「ばけばけ 脚本ひどい」の本当の正体
- まとめ|ばけばけの脚本は「ひどい」で終わらせると少し惜しい
- よくある質問
- 情報ソース
ばけばけ脚本が「ひどい」と言われた理由は?まず結論を整理
『ばけばけ』の脚本が「ひどい」と言われた理由を整理すると、大きく次の6点に分けられます。
- 大事件より日常を重視し、話が進まないように感じやすかった
- 主人公が分かりやすく成功・成長する朝ドラではなかった
- キャラクターの感情を説明しない場面が多かった
- ギャグや現代的な会話のノリが合わない視聴者がいた
- 重さと笑いが短い間隔で切り替わり、温度差を感じる回があった
- 朝ドラに求める「爽快感」「成長物語」と作品の狙いが違っていた
ここで大切なのは、「脚本がひどい」という感想と、「脚本に何の狙いもなかった」という評価は別物だという点です。
実際、ふじきみつ彦さんは『ばけばけ』で「何も起きない」日常を描くことに意味を置いていたと明かしています。CINRA+1
視聴者が「何も起きない」と感じた。
脚本家も、大事件ばかりが起きる作品を目指していなかった。
ここはかなり重要です。
つまり『ばけばけ』の場合、批判された部分の一部は、偶然生まれた欠点ではなく作品の個性と表裏一体だったことになります。
私は最終回までの流れを踏まえると、「脚本が壊れていた」というより、朝ドラとしてかなり人を選ぶ設計だったと見るほうが近いと感じています。
ただし、意図があったから視聴者の不満が無効になるわけでもありません。
意図的に遅くしたテンポでも退屈なら退屈ですし、説明しない演出でも伝わらなければ「分かりにくい」と感じます。
作品の狙いと視聴者の満足度は、別のものなんですよね。
ばけばけが不評になった背景には放送前の期待値もあった
まず大前提として、『ばけばけ』がここまで厳しく評価されやすくなった背景には、題材への期待値の高さもあったと思います。
『ばけばけ』は、松江の没落士族の娘・小泉セツと、後に小泉八雲として知られるラフカディオ・ハーン夫妻をモデルにした物語です。
明治という大きな時代の転換期。
松江。
外国人教師。
怪談。
異文化交流。
そして夫婦の物語。
題材だけを見ると、朝ドラ好きの想像力をかなり刺激します。
「怪談をどう物語に取り込むのだろう」
「小泉八雲夫妻をどんな夫婦として描くのだろう」
「松江の景色と怪談世界が混ざった、美しい朝ドラになるのでは」
そんな期待が膨らみやすい企画でした。
ところが実際の『ばけばけ』が大切にしたのは、歴史上の偉人が次々登場する大河ドラマ的な展開でも、主人公が夢へ向かって一直線に成功する物語でもありません。
むしろ描かれたのは、時代から取り残される人々や、思うようにいかない暮らし、そしてトキとヘブンの何気ない日常でした。
脚本家のふじきみつ彦さんは、作品について「時代に取り残された人」の思いを大切にしていたことを語っています。CINRA
ここに、最初の大きなズレがあります。
視聴者が「小泉八雲夫妻の大きな人生物語」を期待すると、日々の会話や家族の細かな出来事に時間を使う構成は遅く見える。
一方で、制作側が描きたかったのが「歴史を変える人」ではなく「時代の中で暮らした人」なら、その日常こそが本編になります。
同じ場面でも、見ている側が期待したドラマによって意味が変わってしまうんです。
朝ドラらしい「主人公の成長」と違った
朝ドラには、視聴者の中で自然に出来上がった型があります。
- 主人公が夢を見つける
- 挫折する
- 仲間と出会う
- 努力する
- 仕事や人生で何かを成し遂げる
- 最終回では成長した姿が見える
もちろん、すべての朝ドラがこの形ではありません。
それでも半年間、毎朝主人公を見続ける視聴者は、無意識のうちに「この人がどう変わっていくのか」を待っています。
ところが『ばけばけ』は、そこから少し外れています。
ふじきみつ彦さん自身、トキについて、何者かになることや典型的な成長を描く物語ではないという趣旨を語りました。婦人公論
これは脚本を理解するうえで、とても大きな情報です。
「主人公がなかなか成長しない」という不満に対して、作品側の答えはある意味では、
そもそも、分かりやすい成長物語を書こうとしていなかった。
になるからです。
なるほど。
……と言いたいところですが、朝ドラ視聴者としては「それを半年間、毎朝8時にやりますか」と言いたくなる気持ちも少し分かります。
ここが本当に難しい。
作品として筋が通っていても、放送枠との相性まで良いとは限らないのです。
ばけばけはつまらない?「何も起きない」と感じた原因
「ばけばけって、正直つまらない」
そんな感想につながりやすかった最大の理由は、出来事そのものの少なさではなく、ドラマが“出来事を大きく見せない”構成だったことでしょう。
実際、脚本家自身が「何も起きない」物語の魅力について語っています。CINRA+1
事件が起きて、解決して、次の問題が始まる。
そんな分かりやすい連続ドラマとはかなり感触が違います。
『ばけばけ』では、誰かと話す。
少し気まずくなる。
何となくうまくいかない。
家族の空気が変わる。
言えなかったことが残る。
こうした“小さな変化”を積み重ねていきます。
私は、この作り自体はかなり面白いと思っています。
ただし問題は、15分ずつ見る朝ドラでは、小さな変化が「今日は何も起きなかった」に変換されやすいことです。
1話15分では「ため」が停滞に見えやすい
映画なら2時間後に意味が分かる沈黙も、朝ドラでは翌日まで持ち越されます。
月曜日に置かれた違和感の答えが金曜日に来る場合、視聴者はその間ずっと少し宙ぶらりんです。
「今日は何が進んだの?」
「昨日とあまり変わらないような……」
そんな感覚が何日も積み重なると、作品への評価そのものが下がっていきます。
私は『ばけばけ』について、テンポが単純に遅いというより、感情を熟成させる時間を長く取る脚本だったと思っています。
問題は、その熟成期間に付き合えるかどうか。
毎朝テレビの前に座って、静かな会話の温度差を読み取る。
これはなかなかぜいたくな視聴方法です。
出勤前です。
洗濯物もあります。
朝ごはんもあります。
全視聴者が演劇評論家の姿勢でテレビの前に座っているわけではありません。
だからこそ、朝ドラには細かな心理描写と同時に、「今日の15分を見た満足感」も必要になります。
『ばけばけ』は、そこをあえて犠牲にした回が少なくなかったように感じます。
まとめて見ると評価が変わりやすい脚本
一方、一気見では印象が変わります。
数日分を続けて見ると、前の回で置かれた違和感がすぐ次の展開につながり、人物の感情線も見失いにくくなります。
放送中には「遅い」と感じた展開が、まとめて見ると「かなり丁寧だった」と見えることもある。
これは『ばけばけ』を再評価するときの重要なポイントです。
私は、『ばけばけ』は1話単位の満足度より、数週間単位の感情の積み重ねに重きを置いた作品だったのではないかと考えています。
その意味で、朝ドラという放送形式と作品の脚本設計が、少しだけケンカしていたのかもしれません。
ばけばけ脚本がひどいと感じる具体的な理由|説明不足・キャラ・ギャグ
「脚本がひどい」と感じた視聴者が、全員同じ場所でつまずいていたわけではありません。
ただし、不満が集中しやすかったポイントはいくつかあります。
キャラクターの行動理由が見えにくい
『ばけばけ』では、登場人物が自分の感情を細かく説明しない場面が多くあります。
表情。
返事までの間。
言葉を飲み込む瞬間。
相手との距離。
そうしたものから気持ちを読み取る作りです。
うまくハマると、とても自然です。
人間は現実でも、「私は今こういう理由で悲しんでいます」と説明しながら生活しませんからね。
ただ、ドラマでは事情が違います。
視聴者がその人物の気持ちをつかめないまま次の展開に入ると、
「なぜ急にそうなったの?」
「前の気持ちとつながっていない」
「脚本の都合で動かされたように見える」
という反応につながります。
余白は、伝わったときには余韻になりますが、伝わらなかったときには説明不足になります。
『ばけばけ』の脚本評価が割れた理由を一文で説明するなら、私はここを挙げたいです。
説明しない脚本が「雑」に見える瞬間があった
人物関係や時代背景についても、説明を最低限にする場面があります。
視聴者が自分で補完できれば問題ありません。
しかし毎日15分ずつ見るドラマでは、数日前の細かい会話を忘れていることもあります。
すると、脚本側ではつながっているはずの出来事が、視聴者には突然の変化に見えてしまう。
映画や配信ドラマでは“説明しない美学”が魅力になることがあります。
でも朝ドラは、途中から見る人もいる。
家事をしながら見る人もいる。
毎日完璧に集中して見られるとは限りません。
その視聴環境まで考えると、『ばけばけ』の省略は少し強かったのではないか。
私はそこについては、批判側にもかなり納得できる部分があります。
ギャグやツッコミの好みが大きく分かれた
そして『ばけばけ』を語るうえで外せないのが、笑いです。
ふじきみつ彦さんはコントや舞台、Eテレ作品などにも携わってきた脚本家で、『ばけばけ』でも会話の中に独特の笑いを入れています。
脚本家本人も、自分らしい脚本として「笑いのあるセリフ」を大切にしていることを明かしています。CINRA
この会話劇を好きな人は、本当に好きです。
一方で放送中には、
- ギャグが寒く感じる
- 現代的なツッコミに見える
- 明治の世界観から急に現代へ戻されたように感じる
- シリアスな場面のあとに笑いが入り、感情が途切れる
といった反応も見られました。
つまり「笑えない」というだけではありません。
世界観への没入を妨げる笑いに感じる人がいたことがポイントです。
私自身、ここはかなり回によって印象が違いました。
絶妙な間でふっと笑わせる会話は、『ばけばけ』にしかない魅力です。
一方、「ここはもう少し余韻の中にいさせてほしい」と思ったところで笑いが入ると、こちらの感情だけが置き去りになることもある。
涙を用意したところで急に椅子を引かれたような感覚です。
笑っていいのか、まだ切なくていいのか。
しずくの感情、現在地を見失う。
この悲しさと笑いの近さも、魅力と弱点の両方になったと思います。
ばけばけはなぜ炎上したように見えた?SNSと「反省会」の影響
『ばけばけ』について「炎上していた」という印象を持った人もいるかもしれません。
ただし、何か一つの巨大な不祥事によって作品全体が炎上したというより、批判的な感想がSNS上で継続的に可視化され、それが大きく見えたと考えるほうが適切です。
朝ドラには毎日の実況文化があります。
放送直後から、その日の展開について多くの感想が投稿されます。
そこで目立ちやすいのが、
- 脚本ひどい
- つまらない
- 寒い
- 今日も進まなかった
- キャラの行動が分からない
といった短く強い言葉です。
「この場面にはこういう意図があるのかもしれない。ただ私は少し乗れなかった」
より、
「脚本ひどい」
のほうが圧倒的に速い。
そして目に入ります。
SNSという場所では、作品の評価そのもの以上に評価の言葉の強さが拡散力を持ちます。
「脚本ひどい」は複数の不満をまとめる言葉になりやすい
ドラマを見て感じる不満は、必ずしも脚本だけが原因ではありません。
たとえば、
- 演出のテンポが合わない
- キャラクターが苦手
- ギャグが好みではない
- 朝から見るには重い
- 盛り上がる展開が少ない
- 期待した歴史ドラマと違った
こうした違和感が全部まとめて「脚本」に向けられることがあります。
映像作品は、脚本、演出、編集、俳優の芝居、音楽、美術などが合わさって完成します。
それでも視聴者からすると、物語への不満を一番簡単に説明できる言葉が「脚本」なんですよね。
だから検索上の「ばけばけ 脚本 ひどい」は、
純粋な脚本技術への批判だけではなく、『ばけばけを見て感じたモヤモヤの総称』
として読む必要があります。
ここを分けて考えないと、作品評価をかなり単純化してしまいます。
一部の回への不満が作品全体へ広がりやすい
朝ドラは全125回という長丁場でした。デイリースポーツ+1
半年近く毎日見るため、視聴者の評価は一度で決まりません。
逆に言えば、一週間の不満が積み重なると、
「最近ずっと面白くない」
「もう脚本がダメなのでは」
という作品全体への評価へ変化しやすくなります。
これは朝ドラ特有の難しさです。
映画なら一度見て評価します。
朝ドラは昨日まで好きだった人が、今週は不満を持ち、来月また好きになることもある。
作品そのものが変化するだけではなく、視聴者と作品の関係も半年間ずっと変化し続けるんです。
私は『ばけばけ』の場合、その揺れ幅がかなり大きかったと感じています。
視聴率15.2%は「失敗作」の数字だったのか
『ばけばけ』は2026年3月27日に最終回を迎え、関東地区の期間平均世帯視聴率は15.2%でした。
前作『あんぱん』の16.1%を0.9ポイント下回っています。
最終回は15.5%、最高視聴率は2025年12月9日の16.5%でした。デイリースポーツ+1
数字だけを見ると、前作より下がったのは事実です。
ただし、「脚本がひどかったから視聴率15.2%になった」と一直線に結論づけるのは危険でしょう。
指標 『ばけばけ』
放送期間 2025年9月29日〜2026年3月27日
本編 全125回
期間平均世帯視聴率 15.2%
最終回 15.5%
最高視聴率 16.5%
脚本 ふじきみつ彦
ヒロイン 髙石あかり
ヘブン役 トミー・バストウ
視聴率は作品の内容だけで決まりません。
テレビ視聴習慣の変化、配信視聴、ニュース、曜日、季節、生活スタイルなど、多くの要素が影響します。
それでも半年間の平均が前作を下回ったことは、少なくとも視聴者を広く強く引っ張り続けるタイプの作品ではなかったことを考える材料にはなります。
私は、数字と批評を合わせて見ると、『ばけばけ』は大失敗というより、
固定視聴者を保ちながらも、万人を巻き込む大きな熱狂までは作りにくかった作品
という評価が近いのではないかと思います。
ばけばけ脚本は本当に失敗?脚本家の狙いから見ると印象が変わる
ここまで批判の理由を並べてきました。
では本当に、『ばけばけ』の脚本は失敗だったのでしょうか。
私は、「好みに合わない」と「脚本として成立していない」は分けて考えるべきだと思っています。
「何も起きない」は意図された構成だった
放送終盤、脚本家のふじきみつ彦さんは『ばけばけ』について、「何も起きない」物語の魅力を語りました。CINRA+1
ここまで読むと、放送中に出ていた、
「何も起きない」
という不満が、まったく違って見えてきます。
視聴者は欠点として指摘した。
脚本家は、そこに価値を置いていた。
つまり『ばけばけ』の評価が割れたのは、ある意味では当然だったんです。
映画でも小説でも、出来事の大きさではなく日常の細部を描く作品があります。
朝食を食べる。
誰かと散歩する。
他愛のない会話をする。
そこに人生がある。
『ばけばけ』も、最終的にはかなりそこへ向かいました。
トキは「何者かになる」ヒロインではなかった
さらに重要なのが、主人公トキの描き方です。
朝ドラヒロインというと、職業的成功や社会的使命が物語の中心になる作品も多くあります。
しかし『ばけばけ』は違いました。
脚本家はインタビューで、トキが何者かになることや、典型的な意味で成長することを目的とした物語ではないと説明しています。婦人公論
これはかなり思い切った設計です。
半年間主人公を追って、
「結局この人は何を成し遂げたの?」
と聞かれたとき、仕事の成功や大きな肩書きを答えにしない。
代わりに描かれるのは、誰と暮らしたか。
何を面白がったか。
何を怖がったか。
どんな言葉を交わしたか。
どんな毎日を生きたか。
私はここに『ばけばけ』の好き嫌いが極端に分かれた理由が凝縮されていると思います。
朝ドラとしては、かなり勇気のいる選択でした。
そして、勇気のある選択が必ず万人に歓迎されるわけではありません。
怪談ドラマとして見ると「違和感」の意味が変わる
『ばけばけ』というタイトルには当然、「化ける」という感覚があります。
人が変わる。
時代が変わる。
土地の価値観が変わる。
古いものが新しいものに押し流される。
外国から来たヘブンの目を通して、日本の風景も別のものに見えていきます。
脚本家は作品のキャッチコピー「この世はうらめしい。けど、すばらしい。」にも関わり、時代に取り残された人々の思いを物語に込めています。CINRA
ここから見ると、『ばけばけ』の居心地の悪さは、単なる暗さではありません。
明治という「古い日本が急速に別のものへ化けていく時代」を、登場人物たちの生活から見ているとも考えられます。
新時代へ軽やかに適応できる人ばかりではない。
昨日まで価値のあったものが、今日は役に立たない。
笑えるようで笑えない。
怖いようで、少しおかしい。
私は『ばけばけ』がずっと持っていた妙な落ち着かなさは、かなり怪談的だったと思っています。
怪談は、必ず幽霊が飛び出してくる話ではありません。
「何となく変だ」
「説明できないけれど気になる」
という感覚そのものが怖さになります。
『ばけばけ』の脚本も同じで、説明されない部分が魅力になった人もいれば、ただの説明不足に見えた人もいた。
ここでもまた、長所と短所が同じ場所にあります。
ばけばけ脚本の評価は最終回後に変わった?再評価できるポイント
『ばけばけ』はすでに2026年3月27日に全125回を終えています。
そのため、放送途中の段階とは違い、今は最終回を含めた全体構造から脚本を評価できます。
最終回では、物語が初回冒頭の東京・大久保の家へ戻る構成が取られ、トキによるヘブンの回想録「思ひ出の記」の完成、そして夫婦の日常へつながっていきました。スポーツニッポン
ここは、『ばけばけ』が最後まで何を描こうとしていたのかを理解する重要な手がかりです。
最終回まで見ると「日常を描く物語」だったことがはっきりする
『ばけばけ』は、最後に巨大な成功物語へ変身するわけではありません。
この作品がたどり着いた場所は、むしろ日常でした。
それを見たあとで序盤から振り返ると、
「なぜこんな小さな出来事に時間を使うのだろう」
と思った場面の意味も少し変わります。
最初から最後まで、作品が見ていたのは“歴史上の偉人”というより、その歴史を生きていた人間の生活だったのでしょう。
これは脚本の一貫性として評価できます。
ただし、「一貫していたから面白かったはず」とまでは言いません。
ここは大事です。
作品の狙いが分かったあとでも、テンポが合わなかった人は合わないでしょう。
笑いが苦手だった人が、脚本家の意図を知った瞬間に笑えるようになるわけでもありません。
理解と好みは別です。
私は『ばけばけ』をめぐる議論では、この当たり前の線引きを大切にしたいと思っています。
リアルタイムより一気見のほうが向いている可能性
そして今後、配信などでまとめて視聴する人が増えれば、評価が少し変わる可能性があります。
リアルタイム放送では一週間かかった感情の流れが、一気見なら1〜2時間でつながる。
すると、
「急に見えた心変わり」
「長すぎた沈黙」
「進まなかった一週間」
の感覚が弱くなります。
『ばけばけ』のような積み重ね型のドラマは、放送形態によって評価が変化しやすい。
これは今後の再評価を見るうえで、かなり面白いポイントです。
視聴率だけでは測れないが、批判も無視できない
『ばけばけ』は期間平均視聴率15.2%で終了しました。デイリースポーツ+1
この数字だけを使って、
「成功した」
「失敗した」
と決めることはできません。
一方、「意欲的な作品だから数字なんて関係ない」と切り捨てるのも違います。
朝ドラは、多くの視聴者へ毎朝届けるテレビドラマです。
分かりにくさ、テンポ、笑いの好みについて大量の違和感が出たのなら、それも作品評価の一部でしょう。
作家性があったことと、視聴者を置いていった場面があったことは両立します。
私はそこを両方認めるのが、『ばけばけ』をいちばん公平に見る方法だと思っています。
私が考える「ばけばけ 脚本ひどい」の本当の正体
ここからは、公式見解ではなく私自身の考察です。
半年間の物語と、放送後に明らかになった脚本家の発言を重ねると、「ばけばけ 脚本 ひどい」という評価の正体は、単純な脚本崩壊ではなかったと考えています。
最大の原因は、
作品側が描きたかった「普通の人の、何気ない人生」と、視聴者が朝ドラに求める「主人公が前へ進む快感」の衝突
ではないでしょうか。
朝ドラは半年あります。
半年見るからこそ、視聴者は主人公を応援したくなる。
何かをつかんでほしい。
幸せになってほしい。
昨日より今日、今日より明日へ進んでほしい。
ところが『ばけばけ』は、その感情に簡単なご褒美をくれません。
人生には、努力したのに何者にもならない人がいる。
時代に置いていかれる人もいる。
劇的ではない一日もある。
家族と話して、少し笑って、散歩して、その日が終わる。
そこにも人生はある。
たぶん『ばけばけ』は、そのことを125回かけて描こうとしたドラマだったのでしょう。
だから私は、好き嫌いとは別に、この作品が選んだ場所はかなり面白かったと思っています。
同時に、朝ドラでこれをやる難しさも痛いほど見えました。
毎朝15分、人生の何でもない部分を見せる。
これは派手な事件を書くより、もしかするとずっと難しい。
面白い会話、俳優の間、演出、美術、音楽、その全部が噛み合わないと、本当に「何も起きない」だけになってしまうからです。
『ばけばけ』では、その紙一重の場所を何度も歩いていました。
成功した回もある。
危うい回もある。
私は、その不安定さごと『ばけばけ』だったように思います。
まとめ|ばけばけの脚本は「ひどい」で終わらせると少し惜しい
『ばけばけ』が「脚本ひどい」「つまらない」と言われた背景には、テンポの遅さ、説明不足に見える演出、キャラクターの感情の読み取りにくさ、ギャグの好み、朝ドラらしい成長物語との違いがありました。
一方、脚本家のふじきみつ彦さんは、「何も起きない」日常や、トキが典型的な意味で何者かになることを目的としない物語を意識していました。CINRA+2スポーツニッポン+2
つまり、視聴者が違和感を覚えた部分の一部は、作品側も意識的に選んでいた表現だったことになります。
もちろん、狙って書いたから面白いとは限りません。
「分かりにくかった」
「ギャグが合わなかった」
「毎朝見るにはしんどかった」
そんな感想も立派な作品評価です。
それでも『ばけばけ』を単純な失敗作とだけ呼ぶと、少しこぼれ落ちるものがあります。
2026年3月27日の最終回まで見届けると、この物語が最後まで見ていたのは、偉大な人物の成功ではなく、二人が積み重ねた他愛のない毎日だったことが分かります。
期間平均世帯視聴率は15.2%。前作『あんぱん』より0.9ポイント低い結果でしたが、数字だけでは作品の評価すべてを説明できません。デイリースポーツ+1
「脚本ひどい」と感じた人もいる。
「この会話が好きだった」という人もいる。
そして、好きだった人でさえ「いや、その回はちょっと待って」と言いたくなる。
妙に評価が一色にならない。
その落ち着かなさまで含めて、『ばけばけ』という朝ドラだったのかもしれません。
よくある質問
ばけばけの脚本は誰が書いた?
『ばけばけ』の脚本を担当したのはふじきみつ彦さんです。
『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』やNHK Eテレ『みいつけた!』などに携わってきた脚本家で、コントや小劇場での活動経験もあります。会話のテンポや日常の笑いを生かした作風が特徴です。CINRA+1
ばけばけはなぜ脚本がひどいと言われた?
主な理由は、話が進まないように感じるテンポ、説明を抑えた人物描写、ギャグの好み、主人公が分かりやすく成功・成長する朝ドラではなかったことです。
ただし脚本家は「何も起きない」日常そのものを意識して描いており、批判された特徴の一部は作品の狙いでもありました。CINRA+1
ばけばけの視聴率は低かった?
『ばけばけ』全125回の期間平均世帯視聴率は、関東地区で15.2%でした。
前作『あんぱん』の16.1%を0.9ポイント下回り、最終回は15.5%、最高視聴率は16.5%でした。デイリースポーツ+1
情報ソース
この記事では、2026年8月時点で確認できる情報として、NHK連続テレビ小説『ばけばけ』の作品情報に加え、脚本家・ふじきみつ彦さんのCINRA、スポニチ、婦人公論.jp、文春オンライン、エンタメOVOなどでのインタビュー、ビデオリサーチ調べとして報じられた最終視聴率データを参照しました。
放送途中の印象だけではなく、2026年3月27日の最終回後に明らかになった脚本家自身の意図まで含めて評価することを重視しています。デイリースポーツ+4CINRA+4文春オンライン+4
「ばけばけ」の違和感や不評の理由は、実際の展開を追うとさらに輪郭が見えてきます。
- ▶ ばけばけはどこから荒れた?評価が分かれた理由
- ▶ 脚本家の過去作と作風から見る「ばけばけ」の特徴
- ▶ ネタバレから見る展開と視聴者の評価まとめ
朝ドラが終わると、毎朝そこにいた人たちの声が急に聞こえなくなります。
『ばけばけ』は、すっきり答えを置いていく作品ではありませんでした。だからこそ放送が終わった今も、「あれは何だったんだろう」と考えたくなる。そうやって後から何度も姿を変えるところまで、この物語は少しだけ“ばけもの”なのかもしれません。



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